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【校則だからOK?】学校の「常識」が世間の「非常識」になっていないか

第70回 学校と教員に何が起こっているのか -教育現場の働き方改革を追う-

■教員にしか時代に即した校則の改善はできない

 これを、世間は「当然」と捉えるだろうか。福岡県弁護士会も「理不尽な校則が多く、人権侵害に当たるものもある」として、校則の見直しを提言する方針だと『読売新聞』は伝えている。
 下着を脱がせたりシャツの胸を開けさせて下着の色をチェックしていたのは誰か? もちろん教員である。川崎市の例と同じように、福岡市の8割を占める中学校の教員たちが、世間の非常識を「実行」していたことになる。
 もしも、その教員たちが「この校則は非常識だ」と声を上げていれば、もっと早い時期に見直しの動きが始まっていたかもしれないし、校内から世間の非常識はなくなっていたかもしれない。

 しかし、川崎市の例も福岡市の例も、教員から声が上がってきたわけではない。川崎市では市議に指摘され、福岡市では県弁護士会に指摘されて問題が浮上してきた。
 これを、教員たちはどのように受け止めているのだろうか。

 そこで、声をあげなかった教員の責任を問うのは簡単である。しかし、ただ肌着の問題で教員を責めてみても解決にはならない。問題は、肌着に関する校則の非常識さを認識して声を上げられなかったことも含めて、「声をあげない教員」にあるからだ。

 例えば過重労働問題について、個々の教員と話していると「膨大な残業を強いられている」とか「押し付けられている仕事がこんなにある」といった不満は次から次へと口をついて出てくる。
 それに対して、「なぜ管理職に不満を言わないのか」「それは自分の仕事ではないと言えばいいではないか」と返すと、すぐに「とても言えない」という反応が戻ってくる。さらには「自分だけが言ってみたところで変わらない」と続くことも多い。

 つまり、「おかしい」と思ってはいても、それを口に出せないのが教員の現状ではないのだろうか。そして、いつの間にか世間の非常識を常識と受け止めるようになっていってしまう。やがて、受け止めているだけではなく、その非常識の実行者となってしまう。いきすぎれば「加害者になってしまう」可能性も出てくるわけだ。

 教員は生徒たちに、「自分の頭で考えて行動しなさい」と言うはずである。しかし、それが実行できていないのは教員自身ではないだろうか。
 教員が自分の頭で考えて行動すれば、肌着の問題のような非常識が学校でまかりとおるわけがない。「ブラック校則」などと揶揄されるような校則の見直しも進んでいくはずである。

 そうなっていないのは、教員が自分の頭で考えて行動できていないからにほかならない。まず、教員はそれを自覚する必要がありそうだ。そして、そのための環境づくりを急がなければならない。
 そうでなければ、学校の常識は世間の非常識と言われる状態は今後も続いていくだろう。
 

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前屋 毅

まえや つよし

フリージャーナリスト。1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。『週刊ポスト』記者などを経てフリーに。教育問題と経済問題をテーマにしている。最新刊は『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、その他に『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『グローバルスタンダードという妖怪』『日本の小さな大企業』などがある。


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